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シャッター街を21世紀の門前町に!



シャッター街を“21世紀の門前町”へ

発願
古代インドならば今、私の人生は遊行期(最終章)。
そこで長年胸に抱いていた「シャッター街化した街の
どこかを、また過疎化したどこかの町や村を"21世
紀の門前町"で再生したい」という夢に向かって、
平成22年6月30日(母の12回忌)にて発願、遊行を
始めました。
“21世紀の門前町”、それは利他の街、共生の街!
                            合掌


シャッター街化した町の方へ

 いつでも声を掛けてください。また情報を下さい。
都合をつけて伺います。



勧進  (池袋西口 東京芸術劇場前にて) 



今、全国で毎年200の街が消滅しているという。それは?

 社会学者や政治家たちは、「シャッター街は社会的メカニズムの変化から生じたものである。それは時代の流れである。従って誰が良い、誰が悪いというものではない」といっている。しかし、シャッター街にいったん足を運ぶと余りにも寂しい。そこに暮らす人を思うと心が痛む。
 一説によると、今、全国で約12000ある商店街が1年で約200消滅しているという。つまり一店が店を閉めると商店街の機能が低下して次々に閉店が連鎖し、シャッター通りになっているのである。 その主な要因は次の通りである。
再生したい街の一つ土浦市シャッター通り
再生したい街の一つ土浦市シャッター通り

  • 炭鉱閉鎖、漁港衰退、造船閉鎖、工場移転など産業構造、社会構造などの変化による 人口減少の結果、商店街が衰退。
  • モータリゼーション(交通の自動車化)の発展によって、郊外にスーパーやロードシ ョップが進展。その結果、鉄道駅前の商店街が衰退。
  • 地価の高騰、モータリゼーションの発展により総合病院や大学・高校などの教育機関 や市役所などの公的期間も市街から離れ、その結果、商店街が衰退。
  • 新幹線や高速道路が開通したことによって買い物客が大都市へ流出。すなわちストロ ー減少の発生により商店街が衰退。
  • 2000年、大規模小売店舗法の改正により、郊外に映画館、カルチャーセンターな どを併設した巨大ショッピングモールが次々に誕生。その結果、広域に亘って商店街 が衰退、などなど。

しかし、何といっても今次々にシャッター街化していることの一番大きな要因は、これまで地域の役割を果たしてきた商店街の人々を全く無視して、市場原理優先のアメリカ型資本主義を導入し、規制緩和したことである。



国は、今

  そこで、国はシャッター通り再生に向けて今いろいろな名目で毎年一兆円ほどの政策的補助金を投入しているとされる。しかし、その補助金で再生に成功した街はほんの十数である。
中には朽ち果てたアーケードを、補助金で塗っただけという、笑うに笑えない話も聞く。何と言うことか。国民のほとんどがこれを知らない。
ちなみに再生に成功した街の主な例として、次の街が良く上げられている。
  • 滋賀県長浜市(街並み再生・黒壁スクエア)
  • 大分県豊後高田市(街並み再生)
  • 香川県高松市丸亀商店街(再開発)
  • 富山県富山市(路面電車)
  • 石川県輪島市(空港整備)
  • 青森県青森市(コンパクトシティ)
        以上参考文献:『シャッター通り再生計画』足立基浩著・ミネルヴァ書房
  

シャッター街再生の問題点

 改めていうまでもなく、一度シャッター通り化した街を再生するのは容易なことではない。
私がこれまで携わってきた地域開発、老朽マンション、または老朽団地の建て替えにも似て、そこにはつぎのような問題がある。
  1. 商店主がそれぞれに一国一城の主で権利意識が強く、また街のあり方に対する認識も違う。
  2. 商店主、それぞれに資金力の違いがある。
  3. 商店主に高齢者が多く合意が難しい。若い後継者がいれば良いのだが。
  4. 土地建物の権利関係が複雑な人もいる。
  5. 駐車場の確保など、モータリゼーションへの対応が難しい。
  6. 因って、大規模ショッピングモールに対抗する商店街の再生は多額な資金と時間が 必要である。

そこで、門前町の経済力!

 私は、仏門に入ってから機会を見てはあちこちの門前町を巡り、お参りしている。そこには、古代から延々と引き継がれている素朴で純真な心があるからである。
 そして気づいたのは、シャッター通り化する商店街が増えている中、門前町だけは元気がいいことである。
 その要因を、経済評論家でマーケティングの第一人者として活躍されている西村晃氏は『門前町の経済学』というテーマで、門前町の特徴をつぎのように述べている。

 第一に門前町のご本尊様は、宗義宗派に関係なく、また無宗教の人々をもレジャー感覚で初詣や七五三、ご開帳、祭礼、そして商売繁盛、交通安全、厄払い祈願など、次から次にとお参りさせ、その力は本当にすごいの一言である。
 特に長野善光寺、東京浅草寺などのご本尊さまの集客力は抜群である。たとえば7年に一度ご開帳を行う長野善光寺は、1997年に、2週間で515万人を集客した。これは翌年開催された長野オリンピックを大幅に上回る集客であった。しかもオリンピックに比べて、はるかに少ない投資金額で。

 第二に門前町は「ご本尊様」に続く参道であるゆえに、意見がまとまりやすくコーポレート・アイデンティティーの創造がしやすい利点を持っている。
 つまり白壁または黒壁に家並みを揃えたり、朱塗りの街路灯を並べたり、また公衆電話ボックスや交番・銀行なども街並みに揃えるなど、街の特色を出しやすいのである。

 第三に、元気のいい門前町には商品、品揃えにオリジナリティがある。
 たとえば、浅草仲見世通りには「雷おこし」「人形焼き」「あげ餅」「羽子板」。長野善光寺には「おやき」「野沢菜」「信州そば」。鎌倉小町通りには「鳩サブレ」「鎌倉ハム」「鎌倉彫」。伊勢神宮おかげ通りには「赤福餅」。成田山新勝寺参道には「鰻の蒲焼き」「鉄炮漬け」「羊羹」など。
また、巣鴨とげぬき地蔵通りの場合は「お年寄り御用達」をキーワードに、お婆ちゃんグッズのセレクトショップが並び、大型ショッピングモールと競合するブランド商品は一切ない。

 第四に門前町には、「ハレの空間」「ハレの気分」がある。しかも、「縁日」や「祭礼」などの販促イベントが必然的にセットされている。
 それゆえ門前町に来る人のほとんどは「気分転換」と「時間つぶし」である。つまり、ご本尊にお参りをした後に、商店街をそぞろ歩き、冷やかし歩きするのが目的で、買い物が目的ではない。ここに門前町の商いのポイントがある。

 第五に、門前町の場合は「往った人は戻ってくる」ということである。
 たとえば巣鴨の場合、参拝者は駅に降りるとどこにどんな店があるかを横目で見ながらまっしぐらにご本尊の「とげ抜き地蔵」に向かう。そして参拝が終わると、来た道をまた駅に向かって歩き出す。
 有り難いことに、「ご本尊さま」はお参りしたお婆ちゃんたちの気分を晴れやかにしている。そこにあるのはお婆ちゃんやお爺ちゃんが昔を思い出す品々だ。それをお婆ちゃんお爺ちゃんたちは子供のようにはしゃいで買う。また娘や息子たちがお婆ちゃんお爺ちゃんたちのために買う。
 他の門前町も同様である。帰りに孫のために「雷おこし」を買い、子供のために「おやき」を買い、「赤福餅」を買うのである。



これからの日本、そして世界は?

  ご周知のように、日本はこれから人口減少と少子高齢化がどんどん進むのである。
にもかかわらず日本はグローバリゼーションという名の下にアメリカ型資本主義のを導入し、強い者が正義という激しい競争社会に変えてしまった。
 その結果、不定期労働者が増え、鬱病患者が増え、自殺者が増え、富める者と貧しい者の二極化が進み、シャッター街をも生み出した。
 しかし、これは日本だけではない。世界中で起きていることなのである。しかもやっかいなことにこれは「自由」と「平等」と「民主主義」の名の下に世界を凌駕しているのである。
 今や共産主義を掲げる中国共産党=中国政府でさえも、このアメリカ型資本主義を導入し、日本よりも激しい格差社会を誕生させ、そして世界を支配しようとしている。これはますます富める者と貧しい者の二極化を世界にもたらすことになる。大きな問題である。
 もう民主主義が崩壊し、利他主義に変貌してしまったのである。このままでは21世紀に世界は破綻してしまうのでは?。


21世紀の未来に向けて
「民主主義」に変わり「利他主義」の確立を


 世界でただ一人、2008年秋のリーマンショック・金融破綻、そして世界金融恐慌を予測したフランスの経済学者、且つ思想家で初代欧州復興開発銀行総裁のジャック・アタリ氏は、この状況は21世紀の半ばまで続くとしている。
その結果
  1. アメリカ一極支配が崩壊し多極化する。
  2. 巨大な市場が帝国化する。
  3. 海賊行為や軍事面での紛争があちこちで起きる(これは避けなければならない)。
  4. 世界中にノマド(遊牧民)が増える。その内訳として、世界中どこにでも移動でき る超ノマド、1千万人~5千万人。貧しいため生きるために移動する下層ノマド3 0億人。生まれ育ったところに定住する人は40年後には55億人と予測。
  5. そこでアタリ氏は超民主主義と名付け、民主主義に変わり「利他主義」の確立を訴 えている。
    例えば、他人を援助することで自分が幸せになる。自分が病気にならないためには、 他人の病気を無くしていく。これをアタリ氏はトランス・ヒューマンと名付け、「世 界中が他人を愛する心でサービス業化しなければならない。それには、従来の宗教 を超えた宗教が必要である」といっている。
    ちなみにアタリ氏は、貧民救済活動でノーベル平和賞を受賞したバングラデシュの グラミン銀行総裁ムハマド・ユヌスと交流し、グラミン氏のマイクロクレジットに 倣い、アフリカで低所得者層を対象にフラネットファイナンスという社会事業を行 っている。

ゆえに、シャッター通りを21世紀の門前町(街)に!

  21世紀の門前町(街)とは?
それはジャック・アタリが未来に求めている「宗義宗派を超えた超宗教社会、すなわち超民主主義=利他主義社会に向けた、助け合いの街、共生の街」のことである。それはまた少子高齢化時代に向けた中高年、お年寄りを主役にした街でもある。
つまり、元気な若者は大規模ショッピングモールに行けばよい。目指すは競争のない助け合いの街!である。

かるがゆえに21世紀の門前町は、一般的にみんなが想像している門前町のように大きな寺院、大きな神社を中心にした商店街ではない。
もちろん、そのような街に再生したい街はそれに向かって取り組めばいい。ただし、それには大きな資金が要る。私の考えは小さく生んで、大きく育てる街づくりである。
モデルの一つは「巣鴨のとげ抜き地蔵通り」である。
それにはまず
  1. 小さくてもいい、宗派を問わず近隣の寺〃に参加協力をお願いし、みんなで基金 し合い祈る場、すなわち寺院を造る。
    ご承知のことと思うが、この寺院は税金では造れない。みんなの基金で作らなけれ ばならないのである。
    そして近隣の各寺が輪番で導師を務め、毎日、朝、昼、晩、子供の幸せ、家族の 幸せ、世界の平和を求めみんなで祈る。祈ることは心の安らぎであり、声を出すこ と、息を出すことは健康の源でもある。
  2. 寺院が出来たら、1軒でも2軒でもいい、先ずシャッターを開けてもらい、中高 年、及びお年寄りを対象にした店などの展開を進める。
  3. そして漸次モータリゼーションなどの問題に取り組みながら、地産地消の直売店、 また朝市などのさまざまな市の開催、地域の絵画展や書道展の開催など、一つ一つ 積み重ねながら街を再生して行く。
  4. またそこにはいろんな祭りがある。例えばお釈迦様誕生祭、聖観音讃歎祭、阿弥 陀如来讃歎祭、その他○○地蔵尊讃歎祭など。踊ったり、唄ったり。祭りは毎月あ って良い。
  5. こうしてコミニュケーションを図り、文化を創造する。文化がなければ、繁栄は ない。また文化は民主導でなければ生まれない。
萬頂山高岩寺(曹洞宗) とげぬき地蔵 とげぬき地蔵通り商店街
萬頂山高岩寺(曹洞宗) とげぬき地蔵 とげぬき地蔵通り商店街

   

なぜ、仏教を主にした門前町でなければならないか。

 それは、仏教はジャック・アタリ氏が求めている超民主主義=利他主義の宗教だからである。
例えば、かのノーベル物理学者アインシュタイン(1875~1955)は「仏教は近代科学と両立可能な唯一の宗教である」といっている。またイギリスの歴史学者アルノルド・トインビー氏(1889~1955)も「仏教と西欧の出会いは、二十世紀のもっとも有意義な出来事である」といっている。つまり、今、世界で人間が保持すべき宗教にいちばん近いのが仏教であるからである。
 このことを世界の人々から仏教国と見られている日本は世界に向けて発信しなければならない。その役割をシャッター通り、シャッター街が担うのが最善と、私は思う。


発心、そして誓願

 それは平成20年5月3日、春のゴールデンウィークの日のこと。その日、私は急に手足の先が少ししびれを感じたり、また胃の周りが重く、吐き気がしたり、少しだるいような気分に襲われたのである。
 これは疲れのせいだろうと、私は思ったのだが、家内は『いつもと様子が違う。連休が終わり次第、絶対に病院に行かなければダメ』と、くどいほどいう。
 残りの連休の間、横になってじっと休んでいたので大分、楽になったが、念のためにと軽い気持ちで私は会社の産業医を訪ね、エコーで診察を受けたところ医師は、「左右の腎臓に異常がある。至急、虎ノ門病院を紹介するので、精密検査を受けるように」という。
そ こで虎ノ門病院でCT検査などを受けた結果、家族で来て下さいといわれ、家内と伺うと「左の腎臓には約7センチほどの癌があり、右の腎臓には3.8センチほどの癌がある。特に右は場所が悪い。左右とも、一刻も早く除去しないと肺への転移が心配である」と告げられたのである。
 「左右の腎臓をとった後、どうなりますか」と問うと、「3日に一度の透析になります。水は飲めません。のどが渇いたときには氷をしゃぶってください。残りの人生はもって10年、早ければ5年です」。
「腎臓移植というのは、可能性としてどうでしょう?」。
 「第3者からの移植はほとんど可能性がないと思ってください。兄弟がいて、その人が一つを呉れるというならば別ですが・・・」。
「原因は何ですか」
「原因はわかりません。あえていえば遺伝でしょう」。
私はそれでホッとした。私の不摂生が原因であったならば、諦めきれないけれど、親から、また先祖からもらったものならばやも得ない。命ももらったんだからと。
そのやりとりを聞いていた家内が、傍らから「お父さん、あなたはもう十分に人生を楽しんだんだから、もういいわよね。すべてお任せしましょう」。
「そうだね」と、大きな声で私は家内に同意した。
「では、手術は一刻も早く。6月の初旬はどうですか」と医師はいう。対し、私は詳しい事情は言わず、仕事の都合でと、6月の末以降の手術を申し出た。本当は6月7日の日曜日と、6月14日の日曜日、2週続けて私が主催するシャンソン愛好会のコンサートが入っていて、すでにチケットは完売し、穴を開けるわけにはいかなかったのである。

 何が幸いするかわからない。今でも私はその延期が幸運を呼んだと思っている。というのは、その間に何度か診察を受けているうちに、「ひょっとしたら、小さい右の腎臓は残せるかもしれない。ただしその手術が出来るのは日本に2人しかいない。そのうちの一人○○病院の○○医師に当たってあげます」ということになったのである。
 その結果、その医師が快く受け入れてくれて、右ばかりでなく左も癌部分だけを除去し、今、半分になった左右の腎臓がほぼ正常に近い形で働いているのである。これはまさに奇跡というほかはない。
 直接執刀した医師はもちろんのこと、そのスタッフ、そして虎ノ門病院の医師、我が社の産業医に感謝、感謝である。

 さて、ここで私がなぜ仏門に入ったかについて話すことにする。
 実は子供の頃から、私は手相、人相、姓名判断などの占いで短命といわれていた。そのため、末っ子の私は、母からも、また兄や姉からも「お前の命は、せいぜい50歳までだ。親父を1年でも越えたら幸せと思え」と大切にされた。というのも、私が2歳の時、父が44歳で脳溢血で急死していたためである。
 それゆえ、私は12・3歳の頃から「50歳になったら寺に入って坊主になろう」と思っていた。坊主になることはどんなことかも知らずに。また、なぜそう思ったかは今もって分からない。
 それが27歳で会社を興し、無我夢中で事業に取り組んでいたために、いつしかこのことをすっかり忘れていた。
しかし、それが現実になったのである。というのも、いつも占い師に長生きすると言われて得意になっていた兄が68歳で胃癌が悪化して死亡、つまり田舎にいた3人の兄たちがつぎつぎに亡くなり私が母を看取らなければならなくなったからである。そこで私は母より先に死ねないと仏門に入ることを決意し、師僧を得て、兄が亡くなった翌年の1994年3月21日、満50歳の誕生日の時、浄土宗で得度を受け仏門に入ったのである。
 ちなみに26歳で結婚したとき、私は家内に理由も言わずに「50歳になったら、仏門に入ろうと思っている」というと、家内の返事は「そういうことは50歳じゃ、早いじゃないの。60歳過ぎでいいじゃないの」であった。それから約25年を経、私が仏門に入る旨をいうと、家内はそのときのやりとりを思い出し、快く承諾してくれた。

 話を元に戻します。私はもともと物事を悲観的、否定的に見るタイプではない。いつもプラス思考である。 ゆえに医師たちからは診察を受けるたびに「大丈夫ですか?」「何か心配なことがありますか?」と何度も訊ねられたが、私の答えはいつも「何もありません。すべてお任せします」であった。
 それは「癌の原因が遺伝」と医師にいわれたことにも因る。そこで私はこう思った。「これは来るべきものが来たのだ。今で良かった。これがもっと早かったら、会社経営に相当な影響があった。仮に左右の腎臓がなくなっても、5年は生きられるという。5年あればまだやり残していることに対応できる。心臓麻痺で突然死ぬのと違って、死ぬ準備ができるのだ。何と幸せだろう」と。
 ゆえに左右の腎臓が癌と告げられても、それほどショックは受けなかったし、またそれをストレスにすることもなかった。

 そして6月14日、シャンソン愛好会会員の鋤柄洋春さんと共演したコンサートが盛況に終わった日の夜のことだった、私はたくさんの観音様たちと一緒に母が顔いっぱいに笑顔を浮かべながら桟敷席で私の歌を聴いている夢を見たのである。
 本当に気持ちのいい夢だった。その朝、起きるやいなや家内に話した。「夕べ、久しぶりにお袋の夢を見たよ。それが大勢の観音様たちと一緒に笑いながら私の歌を聴いていたよ」と。
 家内はいいました「いい夢だねえ」。そしてその日、虎ノ門の医師から○○医師を紹介されたのである。
それからというもの私は出会う医師たちをはじめ、多くの看護師から、また家族からたくさんの愛をいただいた。それは仏の世界にいるようでとっても幸せだった。
 そして今、手術から1年経、元のようにほぼ健康な身体となったのである。これはまさに奇跡である。
「ああ、私は仏さまたちから見守られていたのだ。○○医師も○○医師も、そして看護師たちも、また虎ノ門病院の○○医師も、我が社の産業医○○医師もみな観音様の化身だったのだ」。
 そこで私は、生かされていることに感謝して発心したのである。『皆さんのお力を得て、死ぬまでにシャッター街を観音様を祀る21世紀の門前町で一つでも再生したい』、また出来れば、『全国に観音様を祀る門前町33を』と。
そして、2010年6月30日、母の第12回忌法要で、釈迦如来、阿弥陀如来はじめ諸仏、ならびに諸菩薩に誓願しました。

南無仏道大恩教主如来釈迦牟尼仏
南無大慈大悲如来阿弥陀仏
南無六方恒沙の聖誠諸仏
南無聖観音菩薩、地蔵菩薩ほか諸大菩薩

皆さん、シャッター街を『21世紀の門前町』で再生しましょう。どうかお力をお貸しください。

合掌





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